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2009年9月13日 (日)

シュワワワッチ

ANA3826 関西→羽田

大雨から一転よい天気sun
最近、自分の予定が全く覚えられないsweat01

今日も天下茶屋の駅で、チェリストSさんに
「ねぇ、もう1時半だよ。行かないとまずいんじゃないの?」
っと言われて、自分の予定に気付いた。

そして関空に着いてさらにびっくり。
時間を勘違いしていたairplane

っというわけで天から降ってきた時間、X線検査場の脇にある秘密基地で作曲中。
                       (いや、サボっている!?)
Signetあの扉の向こうは…秘密基地なのだ。

羽田に着いてからの事を必死に考えないと、ホントに予定がやばいtyphoon

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飛行機」カテゴリの記事

コメント

aiさま
お忙しくて移動が大変ですね。大阪クラシックを聴き奏者の方々のHPを見ているうちにここにやってきました。はじめまして。
ブラームス《ピアノ四重奏曲 第1番》を聴きました。素晴らしかったです。今回の収穫は、ピアノ曲に目覚めたことです。今そのスコアを手に入れ、余韻に浸っている所です。第3楽章のAnimatoの中間部分(第144小節以降)はショパンの影響だろうか、また、涙が出るほど美しい音色を奏でる佐久間さんですが(同章第207小節以降等)、それを際立たせるのはこの低音の包容力だな、などとその構造を見ては回想して楽しんでいます。
これまで弦楽器や木管楽器を愛してきました。これらは純正な音色(自然倍音)が出るからです。他方、平均律で調律されているピアノは最も協和する5度でさえ純正な音からずれており、理論的には弦楽器や木管楽器とピアノの音色とは協和しません。両者は時に対立して聞こえることさえあるため、これまで無意識のうちにピアノ曲を遠ざけていました。
ところがピアノの名演では、平均律に由来する音色の違和を感じるどころか感動を与えられます。それはなぜでしょうか。今回はそれについて考える好機となりましたが、演奏ごとにピアノが変わりその調律にピアニストが関与することは難しい状況下、音色はすべてピアニストのタッチにかかっているのではないかと思うようになりました。というのも、今回のブラームスは、弦楽器とピアノが見事に調和して音の粒がまるで円環を描くかのように感じられたからです。私はピアノを弾けないので、よろしければ美しい音色の秘密を教えて下さい。よろしくお願いします。

tenさま
はじめまして、こんにちは!
この度は暑い中ご来場いただきありがとうございました。
そして…、興味深いご質問をいただきありがとうございます。

そうなのです。ピアノ人が他の純正可能楽器と奏でる室内楽では常にそのことがついてまわります。
合わせをしながら、それこそ「ぎょえ~」と思うことも多々あります。


では、そのことにどう向き合っているのか…。
結論からいってしまうと、
「仲間を信頼して、常に耳を開いていること。」です。

それでは、分かりにくいので具体的に。

まず、tenさんが注目された純正か否かの響きの違いですが、
唯一同時に幅広い音域で和音をならせる楽器として注意することは、そのバランスです。
モチロン、ピアノの個々の音そのものにも倍音列があります。
だからこそ、同時に沢山の音がならせるからこそ、
他の楽器と一緒に縦の響きを奏でるときに注意するのは指一本一本が担当している音各々がどれくらいのタッチでどのくらいの音量で弾くとよいのか、ということです。

例えば和音を弾くのでも、
バス(左手の小指が担当することが多いです。)を強めにしかしタッチの速度は遅く温かく、そして高音域(だいたい右手の薬指か小指辺りが担当します。)そんなに際立たせずに弾くと、低音の倍音列の中にすべての和音の音が吸収されて聞こえます。
逆に、きつい音色が欲しい時にはソプラノ(右手の小指)のみを際立たせて弾くと驚くほどカキコーンと固く響きます。
そこまできつくなくてよいのに…と思うときは、更に内声(中音域)を出しめにしたり低音を調整するとそういう音色になります。

っと言葉で書くと、たった一つの和音の弾き方の説明もこんなに沢山の文字になるものですね。
それでもまだ言い足りていない!


さて、縦の響きはともかく今回のブラームスでは4人が対等に組み合う形なので、その受け渡しや役割がとても重要です。

あるときは、ヴァイオリンとメロディーがユニゾンながら埋もれる役をし、
あるときは弦楽器の音を分厚くする音色の役割をし、
あるときは、音の減衰しない弦の素晴らしさにめげずに、メロディーを減衰しない!?気持ちで歌い、(ピアノのような減衰音楽器でもその消えていく音の先まで耳を傾けて次の音を弾けば減衰しないのです。実際は減衰するので禅問答みたいですが!)
あるときは、対旋律を担当しながら相手にはっぱをかけ…。
あるときには、チェロとヴィオラ二人の投げかけに左手一本で答えて返す
などなど

ピアニストの面白さは、色んな役をすべて演じることができることです。しかも同時に色んな役が!

っということは、実際には

チェロとバスラインを担当して他を盛り上げるにはチェロのような音、
弦と対比的な扱いのときには、ピアニスティックな音、
あるときには、他を際立たせるヴィオラのような音色
あるときには、まるでオーケストラの金管のように華やかな音

などなど、常に自分の役割を当然のように音にできてこそ
弦楽器や管楽器と仲良くさせてもらえます。

私は実は作曲やさんなので、常に
「音色」と「音の行き先」
には自動的に耳が行きます。
ピアニストさんのように、一日の大半をピアノと仲良しこよしで過ごすわけにはいかないことがほとんどですので、ほぼ、移動時間は楽譜という書物を読みながら、妄想を続けているようのものです!
読みながら、ここはこんな音が欲しい、ここはこの人が主役、ここはワタシャ部品だ、ここはチェロと会話しながら相手を立てよう
などなど。
妄想は広がるのに、日々の鍛錬が足りず指がついていきませんが…

ブラームスの室内楽作品は、それこそ妄想の宝庫な作品だといえます。なのでtenさんが「低音の包容力」だ、などと思って聴いていらっしゃるのと同じ気持ちで私も弾いているのだと思います。
そう聴いていただいてるのは、とてもうれしいです。ハイ。


っというわけで、まず曲の全体像をオーケストラテュッティの状態で描き、その中での自分の役割を解釈してピアノの音色にしていく。
そして、合わせをしながら更に色んな思いや考えを一つの音楽にしていく。


そんなこんなも、同じ共演者がお互いに思っていることを音で会話できてこそ実現が可能です。
っということは…、

「仲間を信頼して、常に耳を開いていること。」
ととなると思うのです。


言葉にするのが大の苦手なので、うまくお答えできたとは言えませんが、お許しください。もし言葉足らずの事があればご指摘くださいませ。

tenさんにお答えすることで、「そういや、こんなことも考えてるわぁ。」と自分でもびっくりするほど自分に対する発見がありました。

ありがとうございました!

原田愛

aiaiさま
 こんにちは。tenです。お忙しいのに疑問に真摯にお答え下さってありがとうございます。嬉しかったです。このような質問をすると、ピアノの先生の中には怒り出す人さえいるのです。「ピアノの音は正しい。おかしいのはあなたの耳だっ!」て。無理もないですね。幼いころから平均律で調律されたピアノでソルフェージュを叩き込まれて絶対音感を身につけた人にとっては、平均律の音程が唯一正しいのかもしれません。ただ音楽においては、美しい音色や調和の方が重要だと私には思えるのです。また、母校には音楽学の院ゼミがあり、分野間の垣根は低かったので、私は異分子ながらそこに出席していました。しかし、そこでは作品のミクロな分析が主でどの人の音色も聴かせてもらったことは無く、また上のように怒られるのでは、と思って聞けませんでした。aiaiさんに質問させていただいたのは、音色から出会いが始まったからです。
今回の質問の根には、凡人より遥かに耳が鋭い作曲家は音楽の進歩のためとはいえ純正な音と平均律との音色の差異を看過したのだろうか、という疑問がありました。また、前回もお話ししましたように、ではなぜ名演となると、音色の違和を感じるどころか感銘を与えるのか、と。チェンバロから近現代のピアノへと移行する過程でピアノは美しい音色も放棄し、音色をコントロールする余地さえ奪われ今に至ったのだと、私は思っていました。では時に涙さえ誘う様なピアノの音色は何ゆえか。それはタッチにあるのかなと薄々感じてはいましたが、aiaiさんが教えて下さったように、それほどまでに指の一本ずつに役割をもたせて繊細に表現をしているとは!弦楽器は弦を押さえる位置で、また笛は唄口の角度で音程の微調整をしますが、ピアノでは全てタッチとバランスなのですね。でもピアノの大量生産と全音と半音の関係を無理やり2:1と定めた平均律との取り合わせは、理に適うものなのでしょうか。調律師さんに聴いてみたいものです。
「耳を開く」、いい言葉ですね。個性をもつ幾つもの楽器が一つの曲を作り上げるには、自分の役割を知り仲間の音に耳を開いていることが大事なのですね。私を含めアマチュアは、自分のパートで精一杯で、「ごめん!」と胸中叫びつつも演奏の瞬間瞬間ではそれを忘れがちです。今度こそ、背後の伴奏者さんではなく共演者さんとして、ピアノの音に耳を開きたいと思います。
ところで、「メロディーを減衰しない気持ち」って分かるような気がします。フルートは倍音が出るので、たとえば「ミだっ~」って思って吹けば指を間違えていてもそれらしい音が出ます。いずれにしても、「気持ち」の持ちよう(気合?)で音が保てるのですから、それは大事ですね。

いろいろ書きだすと止まらないので今日はこの辺で。9月27日銀座で大阪クラシックの同メンバーでブラームスを演るそうですね。あの感動をもう一度と思うのですが、次の機会にはぜひ。また大阪でも演奏会をして下さい。今後もご活躍を楽しみにしています。

tenさま
「ミだっ~」!その気合い、とても分かります!
頭で音を描いてるとそうなりますよね。
とても大事なことです。

平均律であること、ピアノをひくかぎりどうしようもない気もしますが、今でも調律をいろんな好みでお願いする方もいらっしゃいます。私の知り合いでもベルクマイスターで調律している人がいますし…。
tenさんもすでにご存じだと思いますが、平均律に至るまでいろんな調律法が考え生み出されてきました。なぜなら、純正律をもとに音を作り上げていくとどうしても端数が出てしまうからです。
(例えば純正の5度を積み上げてDo-Sol-Re-La-Mi・・・と12音を作り出していくと、1周した時にDo=Doにはならない。)
その端数をどう分けるかでさまざまな調律法が生まれました。
平均律の良さをあげるとすれば、転調が自由自在ということです。
純正を大事にした調律法だと、例えばハ長調ではきれいでも違う調に行くと、とあるところの音程は狭くなり、あるいは広く感じ、それはもう気持ち悪いものとなるのです。
っというわけで、端数をすべての音程に少しずつ振り分けた平均律に妥協した!?というわけですが、移行しはじめた当初純正の美しさを知っている音楽家たちには相当気持ちわるかったようです。


とはいえ、転調の自由というのは、いろんな調を表現するものとしてはとてもありがたいものです。曲の調性によって毎回調律しなおす訳にはいかず現在の状況にいたったと考えられます。
でもバッハの作品は、その頃の調律法で演奏してみると、調性によって響きが異なる事を十分加味して(どころかそれを生かして!)書かれていると言われます。調性にカラーがあると平均律でも私は思っていますが、それを音そのものに感じて作曲するなんて素敵だ…。

っというわけで、現在、ピアノをカメのように背負って移動するわけにいかず弾いて歩く身としては、けして12音平均律の便利さに惰性になるだけではなく、tenさんがおっしゃる強い思い(いや、気合い!?)をもって耳を開き、バランスをとっているのかも知れません。

意志をもって音に向かっているといろんな解決の仕方が見えてきて面白いですもの。


けして12音平均律が当たり前と思うのではなく、本当によい響きとは?と純粋に心から音を聴いていることが楽しくて仕方ありません。
ノーテンキすぎ!?かもしれませんがsun


なんだか、いつも長くなってすみません。
でもtenさんの音に対する耳は、とても人間らしいですね。
世の中は12音平均律が当たり前となっている中、そういう先入観なくプリミティブな意味で音を聴けるのはとても貴重な事だと思います。


銀座に向けての合わせがこの連休にあります。
またいつか大阪でお会いできますように…

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  • 石田多紀乃&原田愛 Piano Duo
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    石田多紀乃 原田愛 ピアノ・デュオ
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