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2011年1月 8日 (土)

作曲家と演奏家

今日のコンサートは、大先輩の古曽志洋子先生の作品がいっぱい。

新年早々にもかかわらず、沢山の方にご来場いただきありがとうございました。

新春コンサートということで、数曲、耳馴染みの曲も有りましたが
ほとんどは、古曽志作品。


オソロシー事に!?、作曲者自身が主宰しているコンサートなので
まずは、作曲家と演奏家ががっぷり組み合う事になります。

みなさんどうなると思われますか?
たとえば、モーツァルトが現在生きている人だとして
そのモーツァルトさんの前で演奏するんですよ。



作曲家には大きく二つのタイプが居ます。

「楽譜に書くものは書いたから、後は自由にどうぞ」という放任タイプ。
「楽譜の裏にあるものも、こう弾いてほしい!」という、束縛タイプ。

自分がカキコキをする人間でもあり、あまりこういう事を意識せずにきたのですが
今日は、コンサートが終わってからこの事をみなさんと沢山お話ししました。

自分に置き換えて考えると・・・

作曲する人間として。
書いたものというのは、極端な話書いた瞬間から過去のものになります。
その時の自分を切り落としたようなものなので、
次の瞬間にはまた新しい自分が居て、過去のものは過去の産物として
執着はほとんどありません。楽譜にも、書く事はすべて書いたので
それをどう演奏家が解釈しようと、その人の人生を通して
表現してくれたらそれが一番いい。そう思っているのです。
(だからこそ、適当に演奏されるとかなり頭にきますannoy

ところが、演奏する立場となると、また違う。
なんせ、作曲者自身がそこに居るんだから、どう思って書いたのか
きいてみたくなってしまう。
もちろん、一人でさらうときには自分でとことん解釈するのですが
いざ作曲家の前で弾くと、もろに人生の深さの差を感じて
思わず弱気になって「どう感じて書いてるんですか?」とたずねてしまう。

両方の立場を感じる今日の演奏会。

皆さんとお話ししながら思ったのは、
やっぱり、音の表現にはその人の人生が反映されるという事。

古曽志先生は、一つの作品を生みだすのに相当
ウンウン悩みに悩んで書くタイプ。
波乱万丈に生きていらしたからこそ、それだけ音色や間に敏感で
音楽にスキがない。

今回、先生の連弾曲と歌曲を演奏させていただいたのですが
本当にスキがない!

言葉と音楽が密接で、常に

「で、あんたはどう感じてるの?」

と問われている気がする。
つまり、「あんたはどう生きてるの?」と。

オソロシー。弾きながら自分が丸見えになってしまう。
でも、正直に向き合えるなんて幸せなこと。
まだまだ、人生が浅いので毎回毎回演奏が変わるけれど
それを許してくれるのも、作品のフトコロが深いからこそ。

幸せな時間だったなぁ。
あっという間だった。

作曲家が1音1音、生み出す音。
それを忠実に弾くにとどまるのではなく、
そこから、なにを想像(創造)していけるか。

それは、飾りのように外からつけるものではなく、
自分の内側からにじみ出るものでありたい。

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コメント

作者の意図と読者=演奏者の解釈の自由の対立は、文学の領域でも重要なテーマ。

僕は作者の意図はどうでも良いというタイプ。文学でも音楽でも。

素人ながら作曲したこともあるけど、他人に演奏してもらったことはないし。

だいたい、ギターも弾くけど、楽譜通りに正確に弾くなんて芸当は絶対に無理。インプロ中心なんで、楽譜は最初だけでほとんど見ないし。

作者の意図と読者=演奏者の解釈の自由の対立
やはり文学でも大事なのですね。

私は、作品が演奏家をしばるものではないと考えています。
作曲家をどうでもいいとは思わないけれど
やっぱり、よく書けた作品は演奏をするたびに全く違う姿を見せてくれるからです。
これはホント。なぜだか。

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