JAL1273 羽田→小松
来週のコンサートに向けて富山の南砺市へ。
そう、いよいよ竹田さんのピリオド楽器をコンサートで演奏させていただくのだ。
前回、久々の再会をしたのが2009年の夏。
(すばらしき出会い)
ほぼ2年ぶりながら、なぜか「ただいま~」と言いたくなってしまった。
そこには、楽器と音楽が大すきな人のかおりがするのだ。
いつも、色んな作曲家が残してくれた楽譜をみながら
自分という人生をとおして、その作曲家の姿を追うものの、
いつも心の隅に住んでいる疑問、
「その当時、どんな音を聴いていたのか。」
には、なかなか向き合えずに来た。
でも気になる。いや、知りたい。
今回は、アンドレアス・シュタインの1784年製のピアノ(レプリカ)を
演奏予定。
曲もモーツァルトの1774年のソナタと1786年のアンダンテと5つ変奏曲。
着くなり、弾いてみた。
耳が優しくなる。そして心もやさしく…(なってほしい!)
本当に、「ただいまぁ」なのだ。
本来の姿にもどれるというかなんというか。
いつも、大きなホールでその空間に広がっていく響きに身をゆだねながら
もちろん、そりゃぁ幸せである。
でも。
やっぱり、自然と共存している音がなぜか落ちつく。
本体もまだ木でできていて、ハンマーも鹿の革。
アクションもシンプル。
もちろん、いわゆる大きな音も出ないけれど、
その音に耳を傾けると、人間っぽいいろんな表情がみえる。
現代ピアノのような恵まれた体格が待ち受けていて、
自分がそれをどう響かせるか
ではなくて、
普段から自分の心の隣に居てくれる楽器と、今日はどうだい?と
常に自分と同じ目線で会話をしながら仲良く音になっていく。
そんなスタイルが好きだ。
「書く人」、「弾く人」、「聴く人」。
そんな分業じゃなくて
書く人の隣にコンピューターではなく鳥の羽根や木々が有り、
書く人は弾く人でもあり、
弾く人のすぐ隣に、家族のような近さで聴く人がいる。
産業革命がもたらした技術の発展はすごいけれど、
やっぱり、人間本来のちっぽけさを当たり前に感じられるのが好きだ。
ひとつひとつ顔が見えて落ちつく。
いいなぁ。
そもそも、今回ピリオド楽器を弾こうと決めたのは
石田先生とのDuoだから。
「きっと楽器と会話をしてくれる。」
なぜか、そんな安心感があった。
これらの楽器を保存してらっしゃる竹田さんご夫妻は
本当に心温かな人で、おしみなく楽器を弾かせて下さる。
チューニングも数日前から、毎日のように楽器の顔色を観察しつつ
調整してくださったとのこと。
そんな竹田さんの楽器なので、ぜひ心の温かな人の音で聴きたい。
そう思って、お誘いしたので、ガサツな相棒aiai は邪魔をしないように必死です。
え
そんなにあっさりはずしちゃうの?
↑心やさしき、お二人
来週土曜日は、木々に囲まれて演奏する時には
どんな会話が出来るかな…。
楽しみ楽しみ!
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