「地球の一員」作曲やさんのモノローグ26
東京のその後。
普段の生活としてはだんだん、節電を感じなくなくなりつつあります。
自分たちが慣れてきたのか、それとも・・・
授業時、教室に行くと高校生たちは
「先生!節電中です。」
と、電気を消して明るい日差しの届く側に座ってくれています。
学生さんたちの目が悪くならないか、心配ではありますが
そういう心遣いに触れるたびに、大きなパワーをもらいます。
電車も外にでると照明が消され、季節とはいえ車内温度も快適。
夏はさすがに、「28度」という条件で冷房がつくという発表がありました。
充分すぎます。
家でも、節電で座るたびに飛び上がっていた便座が
快適な(!?)季節を迎えました。
昔、チェルノブイリが爆発した時、いわゆる死の灰が世界にふりました。
それでも情報を知る事ができる私たちのような国もあれば
原発のない電気すらつかない国にも、死の灰がふります。
先日、ウサマ・ビン・ラディンが殺害されたとニュースが流れたのを
複雑な思いで聴きました。
憎しみからは、憎しみしか生まれない。
正義ってなんだ?
誰にとっての正義?
人間が身体を持つということは、欲が生まれるという事です。
でも、責任のない人にまで悲しみを負わせるような事態を
今招いている。
人間ひとりひとりのちっぽけな範疇を越えてまで、
欲を追ってはならない。
原子力の専門家の立場で、自分の使命に今、
1分1秒を惜しんですごしていらっしゃる裏のオジサンから
メールを頂きました。
その中の小学生の一文。
「日本というこの国のふつうの家に生まれたぼくはふとっています。
だけどエチオピアなどのまずしい国に生まれた子はえいよう失調で
死んでいく子もたくさんいます。
別にうまれてくるまえに、えらばさしてもらったわけではなく、
テストやジャンケンをしたわけでもありません。かってにそうなったのです。
ぼくは、運よく日本にこれて幸せだと思う。
だけど弱い国をふみだいにしてできたこの国にきて本当に幸せなのでしょうか。」
地球の仲間の一員から、地球そのものを破壊する技術をもつに至った人間。
その技術の恩恵に少なからずあずかっている大人は、
ひとりひとり、考えねばならない。
久々に一人になって、じぃっと空をみた。
この、そらはみんなみている。
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